御先祖に思いを寄せる~ぬるくなったビールを飲みながら~
こんにちは、Neroです。
4日ぶりの投稿となります…。
どうにも私は活字中毒でして、一回記事を書き始めると2000文字オーバーはざらです。
記事を書くときはある程度集中して書きたいため、息子君が寝静まった後など、時間を見つけて書くのですが、この土日はいろいろ用事もあったりして、まとまった時間が取れませんでした。
最近の息子君は、決まったルーチンで寝てくれるようになりました。
たいてい夜は21時くらいには部屋の電気を落とし、寝る直前にミルクをたらふく飲んでもらい、横にして手を握っていると、そのうちスヤーと寝てくれます。
日によってはそのまま朝まで一気通貫で寝てくれるので、有難い。
その後私は、お楽しみのビールタイムだったり、ブログを書いたりしているわけです。
さて、土曜日は妻と息子君と共に、私の実家へ日帰り帰省をしてきました。
私の実家は車で約2時間ほど走らせた、同じ県内にあります。
車で片道2時間の移動は、間もなく4か月の息子君には負担が大きいかなと一抹の不安がありましたが、お出かけミルクセット、着替え、入浴セット、その他諸々を完備して、いざ出陣。
車の揺れは赤ちゃんに心地いいのでしょうか。諸先輩方の子育て話でも、「泣き止まない赤ちゃんを車に乗せてドライブすると、泣き止んだ」というエピソードが高確率で出てきます。
息子君も片道2時間の長距離にもかかわらず、ご機嫌でいてくれました。
さて、少々無理強いをしてまで帰省したのは、私の父の一周忌を執り行うためでした。
昨年、私の父が64歳で急死し、そこから私の人生は大きく変わりました。
父は特段持病もなく、至って健康。普段からある程度の運動を心掛け、食生活も人並みに健康的なものを食べ、ちょっと体に異変を感じると、すぐに病院に駆け込むような人でしたので、全くの突然のことでした。
定年を経て、嘱託として再雇用で働き、その嘱託も規定の年数を終え、会社勤めを完全卒業した僅か6日後のことでした。
私の話については、また改めて綴らせて頂きたく思いますが、兎にも角にも母のショックが大きく、母自身、私と妹、そして我々家族にとっても、怒涛の一年でした。
父の実家は別の場所ですし、末っ子ということもあり、菩提寺とも縁がなく、個別に檀家も持っておりません。
全くもって宗教とは無縁の家庭でしたので、父の葬儀の際は、葬儀屋さんに紹介いただいた、「一見さんでもお付き合いいただけるお寺」からお坊さんをお招きし、葬儀を執り行いました。
縁とは不思議なもので、このお坊さんが、下世話な話ですが、「非常に良心的なお値段で、丁寧に仕事をして下さる方で」、葬儀だけでなく、四十九日や初盆、そして今日の一周忌と、それにまつわるイベント事でお世話になっております。
一周忌法要はものの15分ほどで終了。
お坊さん曰く、赤ちゃんは法要中の鐘のカーンという音や、お焼香の匂いで刺激され、泣きわめいてしまう子が多いそうで、法要が始まる前、いろいろ気にかけて声を掛けてくれました。が、周りの心配をよそに、ここでも終始おとなしくしてくれていました。
ムムム…こやつはもしや、大物になるかもしれない。
法要の後、お坊さんが簡単にお説法を聞かせてくれました。
「生老病死」という言葉が何度も出てきました。
帰って仏教について調べてみると、または「四苦八苦」とも表現*1するらしく、我々の身近な言葉にも仏教が由来するものが多くあるな、と感じました。
調べた内容を少しだけ記述します。
「生老病死」は、「生きる苦しみ」「老いの苦しみ」「病気の苦しみ」「死んでいく苦しみ」をのこと。
この「苦しみ」とは「思い通りにならない」の意味で、「一切皆苦」と表現するそうです。人生は思い通りにならない、というのが大前提。
そんな中、私たちは変わらないことを望みます。お金や地位や名誉だけでなく、愛する家族と一緒にいたい、自分の体が元気でありたい。これらの望みをすべてひっくるめて「執着」と呼び、「執着」するから苦しいのだと。
世の中の物は全てが「諸行無常」(すべてが移り変わるもの)、「諸法無我」(すべては繋がりの中で変化している)。
世の中のあらゆるものは一定でなく、絶えず変化し続けている。すべての物事は影響を及ぼす因果関係によって成り立ち、他と関係ない独立した存在はあり得ない。
そして、疑い、誤ったものの見方、プライド、欲望などを煩悩と呼び、これを消し去って安らかな心をもって生きることが「涅槃寂静」に繋がっていく。
この考え方を充てていくならば、父が亡くなり、その後息子君が生まれたことも、「諸行無常」、「諸法無我」のことわり。
「一切皆苦」の考え方は、現代に生きる我々にとって、数多の悩みの根源を紐解く考え方だと感じました。
そして翌日、日曜日は、父のお兄さん(私にとっては伯父さん)が、わざわざ実家宛に送ってくれた資料を読み込んでいました。
我が家の遠縁は、そこそこ大きな家業を営んでいて、我が家はそこの分家の末裔なのよ、ということは昔から父からも伯父からも聞いていたのですが、
葬儀の際、「イマイチピンとこないんですよね~」なんて話を伯父と従兄に話をしたところ、後日、実家に送ってくれたのです。
こんなものがあるとは…
私の祖父までの家系図と、100ページにもなる本家と分家のエピソードが、纏められていました。
冒頭記載の通り、父は仕事の関係で、父の実家から長らく離れておりました。
私の親戚も、この資料に出てくる本家や他の分家も、ある別の地域に固まっていて、私にとって親戚とは、盆暮れ正月におじいちゃんおばあちゃんちに新幹線で帰省して、いとこと遊んでもらう、程度のもの。
父自体が親戚付き合いがあまり好きではなかったようです。
時として、「家族、親戚」は、大きな足枷になることもあるのかもしれません。
親戚付き合い、家族関係のトラブルを見聞きすることは、枚挙にいとまがありません。
どんなものだったとしても、「家族、親戚」という「諸行無常」、「諸法無我」の中に我々はいるのかな…と。
父が亡くなり、同じ年に息子君が生まれ、「家族、親戚」という価値観が変わったことを感じます。
日曜日の夜21時。息子君は就寝。
いつものルーチンであれば、このまま朝まで一気通貫。さてビールでも飲みながら資料を読み込むかと、缶ビールのふたを開けた瞬間、息子君がギャン泣きモード。
なんとか寝かしつけて、机に戻ってきたころには、ビールがぬるくなっていたのでした。