Nero’s備忘録~育休中パパはじめての子育て~

パパ育休真っ最中。パパ育休の布教活動、子育て日記他、備忘録。

うちの子はあの子よりも…~相対的評価と絶対的評価~

[名](スル)
  1.  二つ以上のものを互いにくらべ合わせること。「優等生の兄といつも―される」*1

 

こんにちは、Neroです。

 

 

私の住んでいる地域では、明日が一斉に入学式のようです。

実家に住んでいる私の妹は小学校の先生、フリーランスで働いている妻は教育関係の事業ですので、明日からは本格的にギアが入っていくと聞きました。

 

午前中は息子君の予防接種を受けに、いつもお世話になっている小児科さんへ出かけてきました。

妻はそんな明日からのお仕事事情のため、家で明日に備えて諸々準備があるとの事でしたので、本日は私一人。

前回の予防接種も私一人で行ってまいりました。小児科の診察券番号も頭に入り、もうだいぶ、子育てスポットへ一人で行くことにも慣れました。ですが、まだまだパパひとりがマイノリティなのは変わりません。

(お時間あればこちらもどうぞ。

パパ育休はトレードオフ? - Nero’s備忘録~育休中パパはじめての子育て~

 

 

ロタリックス、ヒブ、肺炎球菌、B型肺炎、四種混合…といろいろ目白押し。

注射4本、口から飲んで接種するワクチン1本と、フルラインナップです。息子君は大変だ…。大人でも1回で4本の注射は本当に嫌になります。

 

 

こちらの小児科では、あらかじめネットから予約をして、予防接種を受ける訳ですが、おそらく予防接種を受ける子たちを、意図的に同じ時間に固めているようです。

待合室で順番を待っていると、同じ月齢くらいかな?と思わしき赤ちゃんに、たくさん出会うことができました。

待合室でギャンギャン泣き叫んでしまう子。スカーと寝ている子、ママと笑顔でコミュニケーションを取っている子、本当に三者三様です。

 

うちの息子君はというと、待合室についてから自分の番が呼ばれるまで、スカーと爆睡。注射を打たれた瞬間は一瞬泣きましたが、すぐに機嫌を取り戻しました。その後さすがにムスーっとしてはおりましたが…。

 

 

当ブログでお出かけ時の息子君の様子を書くと、「泣かずにおとなしくしていてくれました!」という表現がほぼ100%。それは本日の予防接種も例外でなく。

本日一緒になった子たちの中には、注射を打つ前からギャンギャン泣き叫び、ママが何をやっても落ち着く様子がない子もいて、それと比べてうちの子はなんて有難いんだろう…と思いました。

 

 

その瞬間…うちの子はあの子より…という、自然に自分の子と他の子とを比較している自分に気が付きます。

 

「比較する」という行為、昨今あまりいいイメージで使われることが少なくなってきていると感じます。

少し前、小学校の運動会の徒競走で「順位付けを止めた。」ということがニュースになった覚えがあります。「どの子も頑張って走っているんだから、その努力は平等なわけで、結果だけに順位をつけるのはおかしい」…というようなロジックだったと記憶しています。

小学校の先生をしている妹に聞いたことがありますが、少なくとも妹の自治体では普通に順位付けをしているそうで、「順位付けをしていない」学校は、あまり聞いたことがないとのことでした。

 

 

「相対的評価」と「絶対的評価」というものがあります。

「相対的評価」は、この徒競走のように、ある成果について順序をつけて、順位が上からいい評価をつける、というもの。

「絶対的評価」は、他者と比較することなく、その事象そのものについて、評価をつける、というもの。

 

「相対的評価」は、「順位」という「結果」にフォーカスする分、誰が見てもわかり易く、評価の公平性が高い一方、扱い方によっては上位と下位の格差を露呈させてしまうリスクを持ち、

「絶対的評価」は、順位のような「明確な基準」が無い故、評価する人によって、それがブレてしまうリスクを持つ、と考えます。

 

 

私が小児科の待合室でふと感じた、「うちの子はあの子と比べて…」は「相対的評価」。病院の待合室での様子を順位付けし、大人の手を煩わせなかったうちの息子君に、私は上位の評価をつけたわけです。

 

「相対的評価」は、評価基準と評価・比較対象が明確で、非常にわかり易い。一方で、あの待合室でギャン泣きしていた子は、うちの息子君より劣るの?という話になります。

今回の話は、「病院の待合室での様子」だけを切り取っているので、それだけで論ずること自体、極端な話ではありますが、

成長のスピード、性格、育児環境などなど、全てが違う赤ちゃんに対して、「相対的評価」で接すること自体がナンセンスに感じます。

赤ちゃんの息子君には「絶対的評価」。「彼自身が頑張った」「前向きに取り組めた」「前から比べるとできるようになった」で接したいと感じました。

 

 

でも、大きくなれば逆です。

私の会社では、人事考課の大部分が「絶対的評価」です。数字ではない業務態度に対して、上司が評価するというもの。

上司のさじ加減のみで全てが決まります。

私は評価されるほうも、するほうも経験しましたが、評価するほうなんて実にいい加減なものです。「業務に積極的に取り組んでいるか」を5段階評価せい、と言われても、3と4を隔てる明確な基準がないわけですから。

だから「社内営業」なんて言葉が生まれるんだろうな~…。

大人になってからの評価は「相対的評価」が明確で健全です。

 

 

「相対的評価」にすると、順位が上位の方が優秀とされ、順位が下位の方は能力がないような見え方になります。

でも、「相対的評価」の軸をたくさん持てば、ある序列では下位でも、別の序列では上位になるものが必ずあるはず。

森羅万象あらゆることに対して…。

 

 

でも、自分にとって大切な人へは、いつまでも「絶対的評価」でいいのかな、とも思います。

子ども、奥さん、家族、友人。

大切な人に対して、「人と比べる」ということ自体が、やっぱりナンセンスです。

*1:goo辞典より