Nero’s備忘録~育休中パパはじめての子育て~

パパ育休真っ最中。パパ育休の布教活動、子育て日記他、備忘録。

没頭できること~昼間のワイドショーを観て~

ぼっ‐とう【没頭】

[名](スル)一つの事に熱中して他を顧みないこと。「事業に―する」*1

 

 

昔から昼間のワイドショーというのがどうも苦手です。

 

 

育児休業に入ってから、圧倒的に昼間に家にいる時間が増え、テレビを点けさえすれば、各局選り取り見取りのワイドショーが放送されているわけですが。

それらを観る気は全く起こらず、バックミュージック代わりにネットフリックスで昔のドラマや映画を観たり。

 

 

連休中日の平日だった本日。

私の会社は、月初の営業日5日ほどが月の中で一番忙しく、有休どころか体調不良でも這ってでも仕事をせい、という感じなので、

GWの隙間の平日を有給で埋めるなんぞ、夢のまた夢だったわけですが。

育児休業中という身であるが故、意図せずその夢が叶い、後にも先にも今年限りか…と悲しみに暮れながら、いつも通りの息子君のお世話ルーチンに励んでおりました。

 

本日は妻がリビングで仕事をするとのことでしたので、午前中は息子君ルームで息子君と共に過ごしました。

最近の息子君は、朝6時頃に起床→9時くらいに朝寝→14時くらいに昼寝→20時くらいに就寝というルーチンが、ほぼ固まってきています。

何かの用事でそれらの時間に寝かせられない時は、ご機嫌が悪くなるわけですが…。

 

今日はそのルーチンが少々崩れてしまった様で、朝寝が11時過ぎから始まり、正午の鐘を聞いた後、息子君がスヤー状態だったので、そっと部屋を抜け出してリビングに戻りました。

 

すると、珍しいことに仕事をする妻の傍らで、TVが点いていて、昼間のワイドショーにチャンネルが合っておりました。

 

いつもなら、「チャンネル変えていい?」か「TV消していい?」となる私ですが、今日はなんの魔が差したのか、ソファーにドカリと座り、ぼけーっとそれを眺めていました。

 

 

チャンネルは「ヒルナンデス」。

そういえば数日前に、フルーツサンドの店への取材を連絡なしでドタキャンして叩かれていたのが、ネットニュースになってたな~…なんて思いながら、

珍しくボケーっと眺めていました。

 

番組のコーナーで、「アートの達人が、GENERATIONSと合作」とやらをやっており、

GENERATIONSって「EXILEの派生形」という認識しかない私が、それを友人の娘さん(小学生)にポロっと言ったところ、

えらい剣幕で詰め寄られた、という記憶がよみがえりました。

若い女性層にとても人気らしいですね、GENERATIONS。唯一関口メンディーさんは顔と名前が一致しました。

 

 

番組の本題は、

「フルーツ彫刻」、「工作漫画」、「黒板アート」を極めた方が、それらの作品をGENERATIONSとコラボさせたというもの。

 

「フルーツ彫刻」(フルーツカービングアート) 佐藤朋子さん

「工作漫画」(立体工作漫画アート) しんらしんげさん

「黒板アート」 中島玲菜さん

 

これらの方々が、作品と共に紹介されていました。

 

どれも、非常に高いクオリティのもので、ひたすら「ふえ~、すげ~な~」、とテレビの前で感嘆めいた独り言を発していました。

 

これらのアーティストさんに共通しているのが、インスタやTikTokなどのSNS媒体で所謂「バズった」人たちであること。

 

「フルーツを削ってみよう」とか「立体的に漫画を作ってみよう」とか「黒板に絵をかいてみよう(学生の時はやりましたが)」とか、

この方々が、どういうきっかけでそれをやり始めたのか、そして、ここまでのクオリティになるまで続けられたのか。

三者三様だとは思いますが、ひとつに「没頭できた」ことがあるんじゃないかな~と思ったりします。

 

「没頭できることを見つけろ」というような表現を、いくつかのビジネス書で見かけます。

いくつかで見かけたということは、ある程度真理を突いているものなのかもしれません。

「没頭してそれに取り組み、わき目もふらずに夢中になれば、おのずと結果は出てくる。没頭できず飽きれば辞めればいい」というようなことだったと思います。

 

没頭できるということは、それなりに「好き」である、という言い換えもできます。

昨今、仕事論を語る時、「好きなことを仕事にしよう」という論調が目立ちます。

「好きなことを仕事にしよう」の「好き」は、この「没頭」の過程がすっ飛ばされた理屈なような気がします。

 

「好きなこと」は、必ずしも「没頭できること」であるとは限りません。

「没頭」はリスクも伴います。そこに人生の大事な時間の多くをささげるわけですから。

ただ、今回ヒルナンデスに取り上げられたような方々は、この「没頭」の末に、作品のクオリティを上げ、それが日の目を浴びたのかな、と思いました。

 

「没頭」が仕事になり、それで生活できるようになれば、この上なく幸せなような気がします。

恐らくこの方々は、そんな未来を確信して、それらに取り組み始めたわけでは、無いと思います。

単純にそれらを作ることに、「没頭」できたから、すなわち「好き」だった。だから結果が出た、ということなのかな、と思います。

 

 

そんなことをボケーっと考えながらトイレに行き、用を済ませて戻ると、妻がチャンネルを変えていました。

 

こちらのチャンネルは御存じ長寿番組「徹子の部屋」。

 

 

 

画面を見た瞬間吹き出しました。

 

 

スタジオでテントを張って、苦笑いをしながら語るヒロシと、淡々と相槌を打つ徹子さん。

 

番組の最後で「次回はソファーに座って喋りたいです」と懇願するヒロシ。

ルールッルルールー♪というテーマ曲が、さらに笑いを誘う…。

 

ヒロシです…」で一世風靡した芸人さんが、その後ブームが去り一気に転落。ご自身が「没頭」している「ひとりキャンプ」をyoutubeで配信し、再ブレーク。

芸人としては一発屋だったのかもしれませんが、「キャンプ」に「没頭」して、新しい切り口を生み出した方ですよね。

 

 

ヒロシがキャンプに「没頭」し始めたのが、どのタイミングからなのか、存じ上げません。

ですが、例えそれまでやっていた事がイマイチでも、新しい「没頭」を見つけることができて、それが何かの拍子で誰かの目に止まったとき、新しい何かが生まれるのかもしれません。

 

 

そういう意味では、「発信すること」の偉大さを感じます。

「アウトプットする」だけでも偉大とは思いますが、さらに踏み込んで、それを誰かの目に止まる形に「発信する」。

全くの個人でも、SNS等で、個人の「没頭」した「結果」を、誰でも「発信」できます。

結果、より多くの方の目に留まりやすくなりました。とってもいい時代です。

 

 

このはてなブログもその1つだと思います。

深さは人それぞれ、ブログを書いている理由もそれぞれと思いますが、ブログを書いている時は「没頭」している時間ではないでしょうか。

それを「発信」して誰かの目に留まる。

 

とても素敵なことだと思っています。

*1:goo辞典より