Nero’s備忘録~育休中パパはじめての子育て~

パパ育休真っ最中。パパ育休の布教活動、子育て日記他、備忘録。

通信制高校のお話~高校生時代のお話その②~

こんばんは、Neroです。

 

 

自分語りシリーズ、高校生編の続編となります。

こちらの記事の続きとなります。お時間あればこちらの記事からどうぞ。

お時間許す限り、お付き合い頂けますと幸甚です。

 

 

さて、一度入学した私立高校にわずか2日で行かなくなった私。

 

しばらくは毎朝、親との激しい喧嘩を繰り広げます。

「どうするの!」

「無理!」

「始まったばかりでしょ!まだ何もわからないじゃない!」

「行けない!」

中学生時代とさして変わらない押し問答が続きます。

 

 

喧嘩の詳細はあまり記憶にないのですが、唯一覚えているのが、

私の「行けない!」の発言に対して、

母親が「行けない!じゃないでしょ!行かないだけでしょう!」と返してきた言葉。

 

意図して「行けない」という言葉を選んでいたわけではなかったと思います。

「行けない」は「本当は行きたい、行く意思はあるのに、何らかの理由により、行くことができない」。対して「行かない」は「自らの意思によって、行くことを拒む選択をしている」。…こんなニュアンスをもとに、母親はこの言葉を返してきたのだと思います。

これに対して、私は返事に窮しました。

私は学校に「行けないのか」、「行かないのか」。果たして、どちらが真意なのだろうか。

 

前編の記事でも綴った通り、私は学生生活に対して、強い「憧れ」と「見栄」を持っていました。

そういった意味で、「行きたい、行く意思がある」という思いには、嘘偽りはなかったと思います。

ただ、それはあくまでも「自分が思い描いていた通りの、理想通りの学生生活」に対したものであり、「理想とはかけ離れた現実」に対しては、「行かない」選択肢を取っていたのかもしれません。

中学生時代から、「ありふれた学生生活」が「何となく、嫌。合わない」と思っていた私は、そう意味では「行けない」が真意だったのかもしれません。

 

 

社会人になった今でも思います。「自分が思い描く世界」の厄介さを。

その世界は、自分にとっての理想郷です。

TVドラマで描かれているような、少女漫画で描かれているような、進研ゼミのDMの漫画のような、キラキラしていて甘酸っぱく、自分にとって都合のいい世界。

こんな理想郷、現実の世界にはどこにも存在しません。でも、どこかにそんな世界が存在するのではないかな、と淡い期待を描く。

この私立高校を選んだのも、もしかしたらこの私立高校ではそんな世界が広がっているんじゃないかな、と、全く根拠のない想像の果てによるもの。

 

なお、大人になった私は、「自分が思い描く世界」を、「理想郷」だけでなく、「事実以上に自分を攻撃してくる世界」とも想像するようになっていくわけですが、それはまた別のお話…。

 

 

さて、そんな押し問答を2週間程続けていくにつれ、特に父親は「このままじゃ埒が明かない」と思った様です。そのうちに母親との朝の押し問答も無くなっていきました。

 

とはいえ、高校を卒業しないと大学にも行けない(大検という選択肢は頭に無かった)。

「詰んだ。」と大きな自己嫌悪に陥りました。

毎朝布団をかぶり、自己嫌悪に苛まれること数日。

 

父親がある日提案してきたのが、「通信制高校」への編入でした。

 

 

ご存じの方も多いとは思いますが、高等学校は、授業を行う方法等で3つの分類に分けられております。

「全日制課程」「定時制課程」「通信制課程」。

平日の5日間、朝通学し、夕方帰宅する、所謂「普通の高校」は全て「全日制課程」に該当。

通信制課程」は原則自宅学習をベースとし、その成果の測定のため、定められたレポートを郵送で提出。また、月に数回、「スクーリング」と称して学校へ行き、授業を受けたり、先生からの指導を受けたりします。

 

最近では、様々な通信制高校の存在を見聞きするようになりました。

この記事を書くにあたり、少々調べてみると、2004年度に「構造改革特区法」というもので認められて以降、民間企業(株式会社等)での通信制高校の設立が、その後8年間で20倍に増加したり、学校法人(所謂私立高校)での設立も増加傾向とのこと。

 

なお、各都道府県ごとに1校以上、「公立高校」での通信制課程の高校が設置されているそうです。

 

私の時は、平成14年(2002年)でした。

通信制高校の学校数も、生徒数も、右肩上がりで増えていた時期だったようです。

 

ここまで、文部科学省のホームぺージに資料を参考にさせて頂きました。

令和2年の資料ですので、かなり直近の資料です。

定時制課程・通信制課程の現状について(令和2年5月21日)

 

 

父親はいろいろと調べ、県庁所在地にあった、県内で唯一の「公立の通信制高校」の情報を探し当てて、ここならどうや、と言ってきてくれました。

 

その後、父、母、私と3人で、その通信制高校へ面談に行った覚えはありますが、そこで具体的にどのような話をしたのかは、記憶にありません。

ただ、原則期中での編入は受け入れないルールのところ、例外として期中での編入を認めてくれた記憶があります。

両親と学校の間で、どのような話し合いが持たれたのか、私は知りません。ですが、このタイミングで善処頂けなければ、私の人生は1年ずつずれていたかもしれません。両親と学校には感謝しています。

 

 

こうして、2日しか行かなかった私立高校から、その2か月後の6月に、公立の通信制高校編入することが決まりました。

 

 

通信制高校編入した私は、「憧れ」と「見栄」を高校生活そのものに求めるのを、いったんは諦めました。

 

とにかく「高校卒業資格を得るため」と割り切り、日々のレポート提出、週2回のスクーリングはほぼ欠かさず出席しました。

学校までは、家から駅まで自転車で20分、電車で45分、バスで30分と、少々長丁場でしたが、週に2回なら大して苦でもありません。さらに自分で受ける授業を選択できるため、必ずしも1時間目の時間から行かなくてもいいわけです(必修で逃げられないものもありましたが…)。

通信制高校」には、老若男女、様々な「同級生」がいました。先生より、生徒の方が年上、なんてこともザラでした。現役世代の私の方が、かえって少数派だったかもしれません。

恐らくは、大小様々な事情により、このタイミングで高校教育を受けることにチャレンジしている方ばかり。

 

私は、「同級生」とコミュニケーションを取ることはしませんでした。

当時は「MD」時代でしたので、MDウォークマンに好きな音楽を入れ、通学や授業の合間はずっとそれを聞いていました。

スピッツの「空も飛べるはず」を聞くと、この頃の記憶がフラッシュバックしてきます。

学校側も、そういった生徒が多数だったからか、コミュニケーションを取ることを強要するようなカリュキュラムや、行事ごとは、最小限にしていたような覚えがあります。

 

 

私が固執と執着をしている、「憧れ」と「見栄」は別のベクトルに向けられました。

「こうなったら、全日制高校の人ができないようなことをしてやろう。」

 

通信制高校には、「校則」なんてありません。学生が20歳以上もザラでしたから、学校の中に学生用の喫煙所があったくらいです。

 

髪を茶色く染め、パーマをかけ、アルバイトをし、原付を買って乗り回し、煙草やお酒に手を出し、全日制高校であれば即時指導対象となるようなことを、あえてやっていきました(煙草や酒は通信制高校でも未成年は当たり前にNGです…)。

 

アルバイトは、通信制高校編入して僅か1か月後には、家の近くのコンビニではじめていました。

いつもならグズグズどうしよう~というところ、なんという行動の速さ。「憧れ」と「見栄」は時にはエネルギーになるようです。

 

このコンビニのアルバイトは、高校3年間の私の「居場所」となりました。週に2回のスクーリング以外で、特段用事もなかったので、のめり込む様にシフトに入れてもらいました。

近くに、とある大学のキャンパスがあり、そのコンビニには大学生が大勢アルバイトをしていました。

私は、バイト仲間の大学生達や、オーナー夫妻にとても可愛がっていただき、大学生が住むアパートに行って酒と煙草に興じたり、オーナーの家で麻雀に明け暮れたり。

…20年も前の話です。今なら、私自身も周りの人々も一発アウトだったと思います。

 

私の「憧れ」と「見栄」は、そういった生活を、中学校時代の友人に見せることで満たされました。

中学校時代の登校集団6人組は、進んだ高校は6人ともバラバラでしたが、毎週のように友人宅や公園などに集まり、ゲームをしたり、ダラダラ話をしたりして過ごしたものです。

でも、どこかで「全日制高校」での当たり前の青春の高校生活への「憧れ」は捨てきれず…。

 

なお、私の素行が悪化したため、その意味で両親との喧嘩は絶えませんでしたが、「他人様に迷惑をかけることだけはするな」「まじめに通信制高校を卒業してくれ」という両親の話の、最低ラインだけは守っていたため、小言と喧嘩は絶えませんでしたが、両親もどこかで私を信用してくれていたのだと思います。

 

 

私がいた通信制高校では、4年で卒業するカリュキュラムが一般的な物でした。

前途の通り、20歳以上の学生が多数で、仕事や家庭を持ちながら学業に励む方が多数派でしたので、必然的にそのような進度になるようです。

私は多くの「同級生」に比べれば、お気楽な現役生でしたので、スクーリングには欠かさず通い、通信制高校を3年で卒業しました。

 

 

こうして、2日で行かなくなってしまった私立高校を経て、無事高校を卒業するに至ります。

結果的に時間的なブランクや遅れを取ることなく、中学生時代の友人と同じタイミングで卒業できたわけです。

両親や学校のサポートが無ければ、この結果はあり得ませんでした。本当に感謝しています。

 

 

いよいよ4000文字を超えようとしています。

育休・育児ブログのはずが、もはや何ブログかよくわからなくなってきましたね…。

ここまでお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。