転勤について考える~幼馴染と動物園~
先々週の日曜日に中学校からの友人達と、動物園に行ってきました。
お互いの奥様やお子様も揃って参加となり、とても賑やかな1日でした。
こうして全員揃うのは、コロナ禍以降初めてです。
我が家の息子君は、その中でも一番末っ子の為か、みんなに可愛がってもらい、息子君はニコニコ笑顔を振りまいていました。
こう見ると、人見知りはこれからなのかしら…。
私の出身県では「動物園と言えばココ!」というくらい、県内ではメジャーな動物園です。
幼稚園の頃、遠足でこの動物園を訪れ、迷子になった記憶が頭の片隅に残っています。
そうした幼少期の頃の思い出が残る場所に、幼馴染と、そして自分の子どもと行く事になるとは、感慨深いものがあります。
私も含めた友人6人のうち、私も含めた3人は県外の大学に進学しました。
盆暮れ正月には帰省し、その度にお決まりの居酒屋でお酒など飲みながら、お互いの近況を話していたものです。
就職活動の折、私以外の2人は地元での就職を希望していると知ります。
その頃既に地元組だった3人は、当然地元で就職する予定となっていました。
私はと言えば、地元に帰ることなど微塵も考えていませんでした。
就職は、あわよくば大学のある都会で。それが叶わないなら、別にどこだっていいや~。と思っていました。
結果、就職したのは、全国に支店がある今の会社。
入社して最初の2年、今まで全く縁も所縁もなかった場所に配属になりましたが、3年目を迎えた頃、私の出身県の支店に異動になりました。
そこまで強く希望していなかったにも関わらず、結果として出身県に戻ってきたわけです(同じ県内とはいえど、地元までは2時間かかりますが…)。
息子君が生まれて、丁度半年になりました。
つい半年前まで、「働く場所はどこだっていいや~」と考えていた私が、この半年で「ここ(出身県)から出たくない」と考えるようになりました。
私の会社は定期異動の概念がないため、大きな理由がない限りは異動はありません。
ですが、私が定年を迎える今後30年先まで、転勤が無いということはあり得ません。
どこかで異動する可能性が高い。
そうなった時に、「単身赴任」か「家族帯同」か。
Nero家は現在、賃貸住まい。妻のポリシーも「絶対家族帯同。単身赴任なんぞ許さん」派。
そういう意味では動きやすいです。
でも、息子君が幼稚園になり、小学生になり、中学生になり、そのタイミングで異動になったら?
私のような「幼馴染」を作ることは難しくなります。
もちろん、人間関係は「幼馴染」に限りません。
また、必ずしも「幼馴染」がいい方向に向くとも限りません。
どんな環境にあっても、その環境の中で息子君は人間関係を築いていくしかありませんし、そうあって欲しいと願います。
ただ、どこにいても「不変的な帰れる場所」があるのとないのでは、安心感が違う様な気がします。
この場合の「場所」は概念的なものではなく、地域、土地、家などの実体的なものを指します。
息子君が将来、「不変的な帰れる場所」に帰りたいと思うのか、帰りたくないと思うのかは、息子君の今後次第に委ねられるわけですが…。
現時点で持ち家ではないNero家では、私と妻の選択次第で、息子君に「不変的な帰れる場所」を作ってあげられない可能性もあります。
私が勤める会社では、取引先の多くが、4〜5年スパンで転勤していく会社がほとんどです。
そういった方々を見ていると、やっぱり大変そうです。
多くの方が単身赴任を選択されています。
毎週末に家へ帰る方、帰省費や仕事の関係でなかなか帰る事ができない方…。
中には逆に単身赴任を謳歌して、毎晩の様に飲み歩いている方もいるようですが…。
価値観は人それぞれ。
中には4〜5年スパンの転勤を、必ず家族帯同する方もいます。
奥様はその度にパートを辞め、お子様は転校しているそうです。
これもこれで、なかなか大変です。
今住んでいるのは私の出身県。
実家まで少々距離はありますが、何かあったらすぐに行き来できる距離ですし、こうして動物園に行く幼馴染もいます。
10年もいまのエリアに居ますので、ここでの会社以外の人間関係も広がってきています。
田舎ですが、生活の便は悪くありません。
息子君の子育てをするのにも、うってつけ。
そういった事を考えていると、会社でのキャリアを追求する事を止めた私にとって、
もはや、転勤することは意味のない事になります。
会社の人事制度に、転勤コースを選択できる制度があります。
多くの方は全国転勤可、を選びます。
家から通える事業所のみ、というコースもあります。
転勤が無くなる代わりに、役職はここまでしか上がれません、というものです。
人事コースを変えるのも、有かもしれません。
一年半前、一度は海外赴任を受け入れたことを考えると、考え方の振れ幅が凄まじいです笑。
そういえば、最近見た新聞記事に、新卒の学生に仕事場所や仕事内容を明示した上で、採用する、という方法を取る企業が増えてきた、とありました。
今まで、「正社員、総合職」といえば、生き方もキャリアも会社任せが当たり前。
まさにガラガラポン。
そんな中で、家庭とうまく折り合いをつけながら、上へ登っていくのがキャリアプランの主流。
今までは、ある意味では会社に生き方を任せていても、問題ない時代だったのかもしれません。
でも、それも変わってきている時代にある気がします。
どんな道を辿ることになっても、「自分で選ぶ」こと。
選んだ道を、正解かな、不正解かな、とドギマギするのではなく、「正解とする!」と半ば思い込みに近い、いい意味での「覚悟」が必要なのかもしれません。
そんな話をしていると、フリーランスの妻は、この地に根差したビジネスプランに変更を考えているようです。
さすが行動が速い…。
そうなってくると、ますます私が転勤をする意味はなくなります。
おまけ
今日はNeroの代わりに私が投稿にゃ!
美容師さんとの相性~美容室の新規開拓ほどしんどいものはない~
育児休業終了までに「やりたいこと」タスクの一つに、「髪を切る」というのがありましたので、
昨日はいつもの美容室へ行ってきました。
35歳にもなりますが、16歳の頃から理容室ではなく美容室派。
私がいつもお世話になっている美容室は、車で1時間程のところにあります。
美容室へ行くのに片道1時間…。
はっきり言って少々遠いです。
それでもなお、そこへ足繁く通うのは、ひとえに「美容師さんとの相性」だと思います。
美容師さんに「今日はどんな感じにしますか?」と聞かれた時、皆さんはどのようにオーダーされるのでしょうか…。
さすがに35歳にもなって芸能人の切り抜きを持って行って、「こんな風にしてください!」というのも恥ずかしい。
あるいは、美容室に置いてある髪型見本の雑誌を見て、「こんな感じにしてください」とオーダーしたとて、実際にその写真通りの仕上がりになることは、まぁ無いです。
そりゃそうですよね…。
モデルさんと髪質も頭の形も違います。もっと言うとお顔も違います笑。
さすがモデルさん…。掲載されている写真は美男子ばかりです。
もしくは、イメージを拙い言葉で伝えます。
「あまり切りすぎず…。あ、後ろは刈らないでください。耳は出してほしいっす…。」
美容師さんもプロです。
拙い言葉から出てくるイメージを、具体的にしてくれます。
「こんな感じですか?」と、雑誌のある写真を指差します。「あっ、じゃあそんな感じで。」と。
どんな形で美容師さんへオーダーしたとて、前途の通り、写真のモデルさんと実際の自分には乖離が出ます。
拙いイメージと実際の仕上がりがマッチするかどうかも、仕上がってみないとわからないというものです。
素人の私には美容師さんの腕の「いい」「悪い」はわかりませんが、
「自分にとっていい」美容師さんとは、こうした拙いオーダーからの仕上がりが、自分の拙いながらも持っているイメージに、限りなく近づけてくれる方だと思っています。
完全に「相性」の問題です。
いまお世話になっている美容師さんは、そういう意味で「相性」がいいので、1時間かけて通い続けているわけです。
本音は、もっと近くにそういう「相性」のいい美容師さんが見つかればな、とも思います。
ですが、「美容室の新規開拓」ほど、勇気とエネルギーを使うものはありません。
私の場合、「男性でも入りやすいかどうか」がヒジョーーに気になるポイントです。
「男子禁制」の美容室なんて、田舎である私の住むところには、恐らくそうそう無いとは思いますが、
勇気を振り絞って入ったら、女子高生ばっかりでした!となってしまうと、目も当てられません。
ちなみに、今の美容室は、もともと妻が先に通っていました。
妻からあらかじめ「ほかに男性客がいたか」や、美容師さんの人柄等々、情報を得ていたため、大した勇気もエネルギーも使うことなく、最初の訪問ができたものでした。
この美容師さんとは相性もいいですし、お話していても楽しいので、恐らく今後も通い続けることになるのでしょう。
かつて、私も「1000円カット」に通っていたタイミングがありました。
月に1度は髪を切らないと、モッサリヘアーになってしまうため、経費節約を意識して。
ところがどっこい、ここが最悪。
素人の私でもわかる「雑」な感じ。
美容師さん(理容師さん?)もどこかやる気なさげ。
事細かなオーダーを聞かれることもなく、出来上がった仕上がりは「う~ん…」という感じ。
一番「なんかイヤ!」と思ったのが、入店するとそのやる気なさげの美容師さんが、けだるそうにお客さんにかける、
「いらっしゃいませ~。長椅子に座ってお待ちしてくださ~い」の声!
けだるそうなトーンも「なんかイヤ!」でしたが、「お待ちしてくださ~い」という変な日本語がもっと「なんかイヤ!」。
その店には3回ほど行きましたが、必ずどのお客さんにも「お待ちしてくださ~い」と声を掛ける為、言い間違えではなさそう。
この場合は、「お待ちください」が適しているはず…。
と、少々どうでもいい理由も含め、その3回ほどで1000円カットには行かなくなりました。
かなり前の話ですので、いまは1000円カットの店舗も増え、クオリティ等も上がっているのではないかと、勝手に思います。
ということで、しっかりと髪を切って、職場復帰に備えます。
職場復帰まであと…9日。
おまけ
「お待ちしてください」がなぜ誤りなのか、日本語教育文法の視点から解説。
「お待ちしてください」の「して」は3グループ動詞「する」の「て形」。
3グループ動詞「する」は、必ず名詞とセットで使用する(例:勉強する、運転する)。
「して」の前にある「お待ち」は1グループ動詞「待つ」が変化したもの。
「お待ち」「して」と、「して」の前に本来くるべきではない、動詞が来ているため、誤用。
おまけ2
いつもの居場所の座椅子で、ポーズを取る猫様。
あざとくて何が悪いニャー?
5か月分のサザエさん症候群~やりたいことリストを完遂させる~
こんにちは。育児休業終了まであと10日を迎えたNeroです。
やっぱりどう考えても、近頃は少々憂鬱です。
「育児休業は、育児をする時間であって、休みではない!」とはよく言いますし、本当にその通りとは思いますが、
「会社でする仕事」と「育児という仕事」が全く同じものかと言えば、それもまた違うものだとも思います。
休みではないものの、子どもと、妻と、(もちろん猫様も)四六時中、同じ時間を共有していたわけですから、仕事に戻ることを考えると、心も体も身構えてしまいます。
休業期間だった5か月分のボリュームの「サザエさん症候群」を一挙に食らわされているようです。
復帰日程が確定した直後、毎日のようにバンバン会社から電話がかかってきていましたが、今週に入ってピタリとそれが止みました。
なにやら不気味です…。
今頃、刃を研いで、大きな口を開けて、私を待ち受けているのでしょうか…。
もはや、煮られようが、焼かれようが、どうにもなれ~…です。
さて、そんなNero家ですが、
「Neroが育児休業の間にやりたいこと」を、残り期間僅かとなった期間に完遂すべく、家族ともども毎日のようにお出かけをしています。
・墓参りに行く
・ショッピングセンターにある赤ちゃん本舗に行く
・行きたかったカフェに行ってみる
・サウナへ行って「ととのえる」
・庭の草むしりをする
・保険の見直しをする
・慢性鼻炎退治のため耳鼻科に行く
・友達に息子君を紹介しに行く
……etcetc
育児休業は「休みではない」はずでしたが、ここ数日はバケーション状態。
息子君にも家族にも関係なく、私個人のタスクも含まれておりますが…。
ますます5か月分のサザエさん症候群に拍車がかかります。
↓ショッピングモールで疲れ果てた私と息子君
あまりにも疲労がにじみ出ていて、シュールだったと妻が遠くから激写
↓車で墓参りに向かう途中、入る山道を間違え、このあと山道をバックで引き返すことに…
↓ブログを始めた頃、草むしりをしてそのビフォーアフターを投稿しましたが、そこから約2か月程が経って、またもや伸びてきた雑草。
フェーズ1 3月末に草むしりする前
↓
フェーズ2 3月末に草むしりした直後
↓
フェーズ3 6月上旬の様子
前回はがんばって手でむしりましたが、今回はお薬に頼り、枯れて頂くことに。
ここからお薬がどのように効くのか、ちょっと楽しみです…。
妻と息子君とお出かけする、家事をする。
仕事のことを気にせずに取り組める、ということは、やはり幸せなことだと改めて感じました。
仮に育児休業を取らず、時短や業務内容変更等で対応していたとしても、仕事のことを完全に頭から離すことはできなかったと思います(そもそも社有携帯持たされていましたし…)。
会社から離れて、家族と向き合い、自分とも向き合う。
人生100年時代。こんな時間が1年や2年あっても、決して罰は当たらないはずです。
一人でも多くの方が、そんな時間を得られるようになればいいなと、改めて思いました。
もし第2子が産まれたら、次は5か月と言わず、1年間の取得にチャレンジしてみよう…。うん、そうしよう。
30代世代は「仕事」と「家庭」の板挟みなのか~もっと一緒にいたかった~
今日は6月1日。
早くも今年も半分が過ぎようとしていますね。
毎年毎年「早いなぁ」と思いますが、今年はひとしおです。
本日から復帰のその日まで、記事上では「あと●●日」とカウントダウンを綴る日が続きそうです笑。
5か月ぶりに戻る職場の事を考えると、「職場の上司や同僚にどのように迎えられるんだろう」、「新しい仕事に対応できるのだろうか*2」等々、不安は募ります。
そして短期的には、復帰直後の約1か月半の長期出張が気になるところ。
曲がりなりとも、いままでツーオペで息子君に接することができていたのが、この1か月半の平日は完全妻のワンオペになります。
この点については、少なからず妻も不安に思うところがあるようです。
妻から共有されたTwitter
そんな妻から共有されたのが、下記ツイート。
ブログもやられている方で、たまたまはてなブログユーザー様だったので、勝手ながらツイート内容と共に言及させて頂ければと思います。
↓引用ツイート
こないだ50代男性と話してたら「女の人は偉いよね、育児も仕事もして」と言われたので「ありがとうございます。でも私はいま一番大変なのは30代男性だと思うんですよね」と言ったら「え、なんで?」と。
「家事育児して当たり前、でも仕事も残業も出張も勉強も当たり前、と思われてるからですかね」「今の30代男性って『妻に言われるから仕方なく家事育児する』というよりも、家事はやって当たり前、育児はやりたいからしてる、という人が多いです、私の周囲では。一方で会社の上司は奥さんが専業主婦で、猛烈に仕事して休日も勉強してた人が多いので、ロールモデルにしようとすると破綻しますよね」
「どの時代も過渡期の人が一番きついと思うんですけど、今の30代女性はもうそういう葛藤は上の世代の女性がしてくれたから、だいぶロールモデルが見えてきた感があって。私も職場の皆さんの理解があって仕事と育児の両立はなんとかできてます。でも私と同じことを30代男性が言ったら、
『なんで奥さんが休まないの?』『奥さんは何してるの?』とか正直思いませんか?上の世代の男性がそう感じてしまうのは理解できるんですけど、今の30代男性はそういう感覚にすごく板挟みになってて大変そうだな、と思ってます。男性の産後うつも問題になってますよね」
…みたいなことを言ったんですけど、これは私がいい人だから若い男性を擁護しようとしたというよりも、当然のように「育児」を「女性」カテゴリにいれてる50代男性に「今はそうじゃないんですよ」と言いたかっただけかも。
はっきりと感じる認識の世代差
おたま様の記事では、「育児と仕事の両立についての認識の世代差」について触れられています。
男性の家事育児参加についてはまさに過渡期にあり、30代男性は「当たり前に男性が家事育児をする」と認識。一方50代は「奥様が専業主婦であり、男はがむしゃらになって働いた」。
この2つの世代の板挟みになって大変だ、と。
まさしく30代男性の私。
このおたま様の記事とツイートに、涙しました。
改めてパパ育休について考えてみました。
私の場合、
「世間では理解が高まりつつあり、社会全体で推進する動きの中にある」
「とはいえ、個々によってまだまだ温度差があり、Neroの勤めている会社ではまだまだ全体の理解は乏しい(Neroの会社ではパパ育休は私で2例目)」
という状況の中にいます。
「先輩世代」に言われた一言が忘れられない
育児休業取得に向けて、会社の上司や同僚と諸々話をしていた頃、とある上司に言われた一言がいまだに忘れられません。
「育児休業?そんなん無理やで。
奥さん働いてないんやろ?家におるんやろ?大人二人で何するん?時間持て余すで。
赤ちゃんなんて1日中寝ているだけやし。」
…この上司はまさしく50代。ガチガチの「先輩世代」です。
男は、昼夜問わず仕事をして給料を家に入れる。女は、家事育児を担う。
まさにそんな時代を生き抜いてきた方です。
一言付け加えると、私の会社は業界で「ブラック企業」で通っています。
「●●(私の会社)さんは、夜2時でもメールがバンバン入ってきてたよ~」と話す得意先さんに対して、営業が「それがうちのカラーですから!」
と、半ばブラック体質を売りにしている節すらあります。
ここ数年は諸々の社会情勢を受け、多少ホワイト要素は入り込んできていますが、せいぜい「ブラック+ホワイト=カフェオレ体質」といった感じ。
まさに会社の体質も過渡期にあります。
時代、会社の体質、ありとあらゆるものが前世代的だったこの上司からすると、「育児休業」を取りたい、という私の発言は「認識の世代差」によって、到底理解できなかったものなのでしょう。
それは単に時代が違ったからか
私はこの上司の事を尊敬しています。
いまは異動してしまい、直属の関係は無くなりましたが、直属だった約4年間、多くを学びましたし、この方の下だったからこそ、仕事が楽しくできたとも思っています。
それ故に、育児休業に対してあのような反応されたことに、少なからずショックを覚えたものです。
先ほど記述した、「ブラック企業である体質を売りにする」営業が多かった中、この上司はそうではありませんでした。
「仕事は楽しくやるもの」「睡眠はしっかりとるもの」等々、ブラック至上主義の周りとは違った価値観を持っていました。
ということは、家事育児に対して、捉えている認識が違っていただけなのかもしれない。
もしも世代が違って、この上司が30代の頃に、現在と同じような家事育児の価値観が時代としてあれば、この上司も私と同じような認識をしていたのかもしれない。
「板挟み」現役世代はどう立ち振る舞うべきか
今の50代の方々が30代だった頃というと、約20年前です。
その時代と現在を比較すると、社会課題が異なっています。
異なる社会課題に対して、前世代的な認識、価値観、立ち振る舞いで、課題が解決できるわけはありません。
改正介護・育児休業法の整備等、環境は完全とは言えずとも、整いつつあります。
あとはそこに「徐々に」対応していく個々の会社や個人の、認識、価値観、立ち振る舞いが変わっていくのを待つばかり。
この「徐々に」の期間が、過渡期であり、そこを現役世代で生きる私達は、そのはざまで揺さぶられて、右往左往もするわけですが。
あの時上司が「大人二人で何するん?時間持て余すで」言ったことには、今なら明確に否定できます。
育児はワンオペでやるものではありません。
後日談ですが、その上司にお子様が生まれた時、奥様の実家に住んでいて、義母の手をかなり借りていたようです。
確かに、ママ、おばあちゃんが居れば、パパの出番は無いかもしれません。
ですが、そもそも「おばあちゃんが居れば手は足りているから、いい」というのもおかしい。
子どもと一緒にいたい、妻と一緒に家事をしたい、こうしたある意味で単純な欲求を持つことが、そこまでおかしなことだとは思いません。
板挟み世代は胸を張っていいのです。
もっと一緒にいたかった
おたま様がブログの最後で共有している動画を、私も改めてここで共有させてください。3分程です。
私の上司を含め、現在の50代の「先輩世代」の方々を「前世代的」と、少々悪者扱いして綴ってしまいましたが、
「先輩世代」でも、このような意識をお持ちの方がいる、ということが、
今、私達「現役世代」が「仕事」と「家庭」の「板挟みに成ることができている」ことの表れかもしれません。
この方々の意識がなければ、もしかしたら「板挟み」になることすら叶わず、今でもなお「仕事」しかない世代だったかもしれません。
おまけ
トイレに行っている間にNeroの枕を奪う猫様
あんたばっかりフワフワの枕ずるいにゃー
ベトナムとNero家~国境を越えて~
昨日は、ベトナム人の友人の家へ遊びに行きました。
市が行っている「離乳食教室」に、妻が参加した時、たまたま同じグループにそのベトナム人の方がいて、妻が声を掛けて仲良くなりました。
こういう時の妻の行動力には脱帽です。
私は知らない人に声は掛けることができたとしても、仲良くなるまでには至りません…。
旦那様は日本人で、息子君より1か月早く生まれた娘ちゃんがいます。
妻が、いつもお世話になっている子育てセンターに誘い、私とはそこで初めて会いました。
子育てセンターへは、私と息子君と2人で行ったりもします。
妻抜きでも、お話をしたり、息子君と娘ちゃんを遊ばせたり、仲良くさせて頂いております。
息子君と1か月違いのお友達の様子は、とても親近感があります。
息子君も早速ガールフレンドができて、喜ばしい限り。
↓見つめ合う2人…
友人宅には、ベトナム人の仲間が集まり、日本人の旦那さんと共に私たち一家をもてなして頂きました。
「ベトナム風の春巻きとお好み焼きは、野菜で巻いて食べるんだよー」と教えてもらって、「おお!野菜で巻くのね!オッケー♪」と思っていたら、野菜どーん!のボリューム感に驚き。
ちょっとしたゴザみたいなのをひき、料理は全て床置き。
レタスやパクチー、ミント、大葉、ドクダミなど色々な野菜をいい感じに選んで、その上に春巻きやお好み焼きをのせるスタイルがとても楽しかったです。
日本の手巻き寿司の感覚に似ているでしょうか。
そして、お腹いっぱい食べてもすごくヘルシーという一石二鳥。
新しく出会ったベトナム人の方々も、すぐに息子君の名前を覚えてくれ、代わる代わるだっこをして、あやしてくれました。
息子君は満面の笑顔を振りまいてみたり、ギャン泣きしてみたり、コロコロ表情を変えていました。
もしかして、ぼちぼち人見知りも始まってきてるのかしら…?
このようなパーティーを月に1〜2回、開催しているそうです。
旦那さんは気儘に時には参加したり、時には別行動したりしているそうです。
「うち帰ってきたら、俺のベッドであいつら(友人たち)寝てたりするんだよ〜」
と笑ってました。
なんとも大らかな方です。
料理が全て手作りということもすごいのですが、一部の野菜はお家の庭に畑を作り、育てているという事に更に驚き。
ベトナムで当たり前に手に入る野菜が、日本では手に入らなかったりするらしく、どこかで種やら苗やらを調達してきて、お家の畑で栽培されてるとの事。
いまのお家も、畑を作るスペースがあるから…という理由で選ばれたそうです。
中古物件だったそうですが、荒れ果てて石や枯れ木がゴロゴロしていた庭を整備して畑を耕し、お手製のスプリンクラーまでありました。
まさにリアルマインクラフト…。
彼女は、大方の道端に生えている草が、食べられる草なのか、そうでないのか、分かるそうです。
というか、毒が入っているような草でない限り、食べてしまうとの事でした。
周りの友人たちは、「それは彼女だけよ!」と笑っていましたが…。
ところで、私は何故かベトナムがとても好きです。
過去2回、ベトナムに行った事があります。
最初は新婚旅行で、2回目は仕事で。
新婚旅行の行き先をベトナムにした理由は、自分でもよくわかりません。
それまで、ベトナム人と話をした事すらありませんでした。
ベトナムが私を呼んでいたのでしょうか…。
妻は「Neroの前世はベトナム人だったんじゃないの」と言いますが、あながち間違いではないかもしれません。
ベトナム人は、勤勉、真面目、優しいという国民性であるイメージです。
もちろん、全ての人がそうではないと思いますが、これはベトナム人と関わった事のある日本人に聞くと、ほぼ総意です。
日本に一定の期間定住するベトナム人は、約10年前の2011年は5万人強だったのが、2021年には45万人までになっています。
在留している外国人の国籍ランキングでいうと、中国に次いで2位。
もはや彼らの存在は、名実共に日本を構成する影響力のある要素と言っても、過言ではありません。
しかし、この数字の裏には、様々な問題が山積され、半ば放置されている状況。
これらに触れ出すと、文字数が何倍にも跳ね上がってしまうため、別の機会に譲るとして。
国を越え、文化を越え、友達になるというのは、息子君にはもちろん、私達大人にとっても、刺激的で、変え難い、素敵な時間です。
おまけ
階段のこの位置がお気に入り。
ここからだと1階が見渡せるんだニャー。
「蛍火」と「諸法無我」
私Neroは、とある県に住んでいます。
県名くらいこのブログで晒しつつ、地元ネタを織り交ぜたブログ作成も面白いな~と思っていますが、
万万々一、会社や友人たちに身バレすると赤面ものですので、一応伏せています。
私が住んでいるとある県のとある市は、人口約10万人程の規模感。
歴史をたどると、市の中心部にある城を中心とした城下町として栄えたようです。
10万人都市と聞くと、ある程度賑わっているように聞こえるでしょうか。それとも少し寂しい感じでしょうか。
聞く方の主観によって分かれるラインかな~と、勝手に思っています。
程よく栄えていて、程よく田舎。
町の中心部から10分も車を走らせれば、のどかな田園地帯が広がります。
そんな田園地帯に、地元有志の方が、蛍を住む環境を整え、幼虫を生育して川へ放流しているという場所があります。
観光マップに載るわけでもなく、googleで検索してみると、数年前に作られたHPが更新もされずに、ひっそりと佇んでいるだけ。
まさに地元民のみしか知らないようなスポット。
毎年5月中旬から6月上旬にかけてに見ごろを迎えます。
今年も行ってまいりました。
今更ながらに、iphoneのカメラ性能にはびっくり。
ぼんやりとですが、儚げな蛍火をカメラに収めることができました。辛うじて蛍だと認識して頂けるでしょうか…。
それでもやっぱり、肉眼で見た時の感動とは比べ物になりません。
この市に異動してきてから11年目になりますが、毎年見に行っています。
何年目かに、「住んでいるところの近くに蛍が出るんだぜ」と大学の後輩に声を掛けたところ、その後輩がわざわざ新幹線を乗り継いで見に来ることになりました。
その後輩が今の奥様です。
この蛍達がいなかったら、妻との結婚も息子君の誕生もなかったかもしれません。
たまたま入った会社に、地元から2時間の場所に支店があり、たまたま社会人3年目でそこに配属されることになり、
たまたま定期異動の概念がない会社なので、10年越しでそこにい続けています。
そんな私にも、約1年半前、異動の話が出ました。
異動先はなんと海外。
海外志望もあったため、喜んでこの話に乗りました。
人と違った大きなチャレンジができると、ワクワクしながら準備をしていました。
コロナ禍の折でしたので、異動後、しばらくは本社に勤め、諸々の準備をしながら渡航のタイミングをうかがう、というスケジュールを予定していました。
ところが、本社への異動を1か月後に控えたある日、父が急死します。
突然の事でしたので、家族のケア、事務的な対応や相続の対応、長男である私は見て見ぬふりはできません。
異動してしまえば、当然のことですが、準備が整い次第、渡航しなければなりません。
時はコロナ禍真っ最中。
一度渡航してしまえば、当然頻繁に帰ってくることもできませんし、そもそも帰宅する選択肢さえ取れない可能性も高く。
海外異動の話は白紙に戻して頂きました。
その後息子君が誕生したり、精神疾患になったり、育休を取ったり。なんか乱高下しすぎている気がします笑。
この乱高下の中で、「諸法無我」という言葉が好きになりました。
仏教用語ですが、「すべては繋がりの中で変化している」という意味。
全ての物は互いに影響を及ぼし合う、因果関係の中にあり、他と関係していない独立して存在するものなどあり合えない…という考え方。
あまり宗教とは縁のない私ですが、この考え方は非常にしっくりくるものがあります。
この町に来て、蛍の存在を知って、大学の後輩を誘って…
海外赴任の話があって、父が急死して、息子君が生まれて、私が体調不良になって…
すべてが「諸法無我」。
何一つ欠けていたら、「今」は無く、
良かったり悪かったり、いろいろある「今」だけど、その「今」の全てで「未来」が作られているんだなぁ、と思う今日この頃。
最低なことがあった一日でも、それが最高の未来に繋がっている、と考えれば、最低な一日への見方も変わります。
…その逆もまたしかりですが、それもまた、人生の面白みなのかもしれません。
おまけ
今日は暑かったにゃー!
妻の麦茶を無断で飲む猫様。
新生児と猫~我が家のイクニャン~
本日の主役は我が家の猫様。
猫様との出会い
我が家に猫様がやってきたのは、2020年末の事。
コロナ禍になり、初めての年末を迎えようとする頃で、「ステイホーム」がそこら中で叫ばれていた頃でした。
当時妻が勤めていた職場の方の知り合いが、とある山中で、生まれたばかりの子猫数匹と、母猫を保護し、子猫の飼い主を探しているとの事で、妻に声を掛けてくれたのが発端でした。
妻は無類の猫好きです。
幼少の頃は猫を飼っていたこともあるようで、いつかは猫を飼いたいと、結婚当初から言われていました。
私の方はと言えば、母親があまり猫が好きではなかったこともあり、「そんなに好きじゃない…どっちかっていうと、犬派かな。」という感じ。
そんな私を見て、結婚以降、妻による洗脳作戦が始まっていきます。
家には猫グッズが増え、半ば無理やり猫カフェへ連行され、ツイッターに上げられているかわいい猫の姿を見せられ…。
妻の作戦が功を奏し、私も徐々に猫好きへと変わっていきました。
そんな折、妻の職場の方から声を掛けられたチャンス。
譲渡を予定している子猫の写真を頂き、その愛くるしい姿にボルテージは高まる一方。
ところが、当時私と妻は、ペット禁止のアパートに入居しており、ペットは飼えない状況。
ですが、高まったボルテージを抑えることができず、その日のうちに引越しを決意。
その週末には不動産屋に足を運び、ペット可の賃貸物件への引っ越しを決めました。
引越し先はそれまで住んでいたアパートから、徒歩10分程のところ。
まさに猫を飼うためだけに、引っ越しをしました。
新生児と猫の共存に向けて
その約半年後、妻の妊娠がわかります。
新生児と猫、果たして共存ができるのだろか?
特に妻は、新生児にも猫にも、万が一があってはいけないとの思いからか、かなり細かいところまで調べていました。
・ベビーベッドを使用する(猫に踏まれない様に)
・ベビーベッドに蚊帳を使用する(猫にちょっかい出されない様に)
・猫のトイレと子どもの生活範囲を分ける(子供が大きくなってから猫砂を口に入れない様に)
…このような対策を考え、実行してきました。
こんな感じ↓
蚊帳はかなり役に立ちました。
息子君が手足をバタバタ動かすと、布団がピクピク動き、それが猫様の興味をそそるようです。
猫様がダイブしても直撃は免れます。
↓こんな感じ
イクニャンになってくれた
上記のような、多少の本能的なちょっかいはありましたが、猫様は息子君を受け入れてくれました。
それまでは私と妻を独り占め(一匹占め?)していたところ、急に弟ができたわけですから、多少やきもちを焼いているような節もありました。
ですが、「飼い主と私を邪魔する存在」ではなく、「一緒になって守るべき存在」と認識してくれたようです。
例えば、2階で息子君を寝かし、私も妻も1階の水回りで家事をしていた時、猫様が「ニャーニャー」と呼びに来ます。
なんじゃらほいと2階に戻ると、息子君が寝返りに失敗して、苦しそう。
また、息子君が3か月になる頃まで、ほぼ妻のワンオペだったため、その間の夜勤は全て猫様が付き合ってくれていたようです。
2時間おきにミルクをあげるタイミングで猫様も起きだし、何をするわけではないけれど、妻と息子君を見守る。
おかげで妻だけでなく、猫様も寝不足で、日中はフラフラしたり、押し入れに引きこもっていたようです。
妻はこの猫様のおかげで、メンタル的にだいぶ救われていたようです。
いまでも、明るく元気に子育てできているのは、この時の猫様のおかげだと言います。
夜勤中の一幕↓ 授乳する妻と見守る猫様
新生児と猫は十分共生可能
今ではベビーベッドも蚊帳も必要ありません。
猫様は自由に息子君の近くをウロウロしていますが、猫様が息子君に危害を加えることもありません。
もっとももう少し息子君が大きくなれば、危害を加えられるのは猫様の方だと思いますが…。
猫もそれぞれ性格があり、個性があります。
たまたまうちの猫様の性格が、共生に向いていた、という事はあると思います。
また、生まれてきた子供が猫アレルギーを持っていた等、身体的な課題を抱えてしまった場合、どうする、というリスクは残ります。
(ちなみに5か月の息子君が受けられるアレルギー検査をしたところ、猫のアレルギーは見つかりませんでした。これから体質変わることもあるようですが…)
ですが、仮に息子君に猫アレルギーが見つかったとしても、取れる対策を最大限取って、共生できる道を探りたいです。
飼い主(親)の少しの工夫と接し方で、新生児と猫の共生は可能だと声を大にして言いたいです。
というのも、子どもが産まれたことで、猫などのペットを手放す話をネット等で見聞きします。
それぞれの細かな事情は分かりませんが、一度迎え入れた以上、ペットも大切な家族。
大切な家族が共に楽しく生きられるような道を、探していきたいと思う、今日この頃です。
おまけ
とは言ってもあたしも抱っこしてほしいニャー。
息子君とシンクロする猫様。抱っこしているのは私。